日経新聞8/30朝刊

〜ロマ音楽の情熱 弦と共鳴〜

  インドから東欧、そしてスペインのアンダルシア地方に至ったロマはフラメンコという情熱的な音楽を生み出した。私は12年前から、その魅力にひかれ、自分が学んできたクラシックバイオリンやジャズとの融合を試みてきた。

「異国の街角で即興演奏」

 2004年。私はチェコのプラハに一週間ほど滞在した。旧市街に足を向けると、地元のストリートミュージシャンが演奏している。せっかくここまできたのだからと、バイオリンを持ち出して彼らの輪に加わった。言葉は分からないが、ギターやサックスの音色に合わせるうち、盛り上がり、気付いたら1時間近くたっていた。周囲には観光客の人だかりができ、演奏が終わると大きな拍手が沸いた。ロマの故郷でもある異国の街角で味わった心地よさは今でも忘れられない。
 私は4歳でバイオリンを始め、大学ではクラシックの室内楽を中心に学んだ。卒業後、即興に興味が向かい、ジャズやポピュラー音楽を演奏するようになった。地元の関西を中心に、ジャズミュージシャンとのセッションを重ねたり、ロックミュージシャンのコンサートや録音に参加したりするようになった。
 このころよく演奏したのが、ジャズピアニストのチック・コリアが作曲した「スペイン」や「ラ・フィエスタ」。情熱的なメロディーやリズムにひかれ、フラメンコ、その源流であるロマ音楽を探求するようになる。フラメンコの踊り手やギタリスト、歌手と共演しながら学んでいった。

「ユニット結成独自曲」

 2000年、私はフラメンコギターの伊藤芳輝さん率いるバンド「スパニッシュ・コネクション」にインドの打楽器であるタブラ奏者の吉見征樹さんとともに参加する。インド、東欧、スペインへというロマの道筋を音楽でたどるのがコンセプトだ。フラメンコを核にしながら、ジャズや民族音楽の要素を織り交ぜ、自分たちのオリジナル曲を中心に演奏してきた。
 海外公演も重ね、フランスのパリでは2回演奏した。03年に出演した音楽祭は町中でライブ演奏が行われ、ロマのブラスバンドのグループもみかけた。私たちは学校内の特設ステージに出演。一時間弱だったが、大人も子供も足をとめてくれ、大きな手応えを感じた。
 翌年、同じフランスのニースに出向いた。世界各国の見本市のような音楽祭で、私たちは日本のブースで演奏。インドやスペインの人も集まって、歓声をあげてくれた。
 フラメンコを学ぶうえで、貴重な経験になったのが来日したスペイン人舞踏家との共演だ。06年、私はスペイン国立バレエ団のプリンシパルダンサーとして活躍したアントニオ・アロンソの公演に参加した。実は偶然が重なってのことだ。
 その時、私はある日本人舞踏家の公演に参加し、楽屋でスペイン人作曲家サラサーテの「サパテアード」を練習していた。たまたま公演を見に来ていたアロンソが私のバイオリンを耳にして「何でその曲を知っているんだ!」と声をあげた。サラサーテの代表作はロマ民謡の旋律に基づいた「ツィゴイネルワイゼン」。ほかの曲は演奏される機会が少ないから、日本人が弾いていて驚いたのだろう。彼はずっとこの曲で踊りたかったのだ。

「舞踊家の爆発力体感」

 彼の公演に参加して感じたのは、本番にかける集中力と爆発力のすさまじさだ。練習ではゆるゆるとしているのだが、当日のエネルギーやスピード感は恐ろしいほど。私もアクセルを踏みきるような気持ちでこたえた。
 07年には、伝説的な舞踏家の子息ホセ・グレコ2世と、マリア・ナダルの来日公演に参加した。ホセは踊っている最中、こちらを見ながら、おまえのソロをもっと聞きたい、と目で促す。即興をどう組み立てていくか、とても勉強になった。
 08年、初めて私がリーダーを務めるユニット「平松加奈 コン・アルマーダ」を結成。バイオリン、フラメンコギター、ピアノ、パーカッションの4人編成で、フラメンコとジャズの融合を目指している。このほど初アルバム「バイオリン・トカ・フラメンコ」(アオラ・コーポレーション)を出した。「オーレ」という掛け声のハレオをどうしても入れたくて、たまたま来日していたフランシスコ・チャベスに参加してもらった。
 現在は平松加奈コン・アルマーダやスパニッシュ・コネクションで全国各地を演奏して回っている。セッションも含めれば年間250回くらいは演奏活動をしているだろうか。これまでに吸収してきたロマ音楽やジャズを踏まえながら、独自の響きをこれからも追い求めていきたい。
                (ひらまつ・かな−バイオリニスト)